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随筆

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 おちこぼれ戦争史
【第5編】
 

 息せき切って駆けつけ、車内を覗くとムンムンした車内は、兵隊で充満していた。O先生は上着を脱ぎ、白いじゅばんのまま上半身を窓から乗り出し、凛々しい顔つきに笑みをたたえて、伯母が差し出した握り飯とウイロウを両手に受け取って高く捧げた。

「ありがとう、ありがとう」と何度も礼を言った後、大きな張りのある声で、「元気で行って参ります」と言って挙手の礼をした。前かがみに立つ腰に吊った軍刀の皮の鞘が真新しく、窓に掛かった軍服の襟に中尉の二つ星がキラリと光った。二言、三言、交わす間もないほんの一時の逢う瀬であった。急坂の鉄路をいっしょに押し上げて来た相棒の機関車は切り離され、一台になった先頭の機関車は、再び闇夜をつんざく汽笛と共に白い蒸気を勢いよく吹き出し、ゆっくりゆっくりと動き始めた。伯母は万歳万歳と叫び、いっしょになって言えと言ったが、彼は声がかすれてうまく出なかった。もう窓は閉っていた。

 それは、たった二人が見送る奇妙な送別風景であった。暗闇に吸い込まれてゆく列車の最後尾の赤いランプが、二重に潤んで段々小さくなり、やがて漆黒の闇の中に消えて行った。あの、おびただしい数の皇軍兵士達はいったいどこへ行くのだろう、どこかの戦場へ、そして白骨となって帰還するのかと、ふと思った。その夜、仏間で寝ていた彼は、夜中に血のりにまみれた白骨の山が、ガラガラと音を立てて崩れかかり、その下で押しつぶされそうになって「わっ」と叫んだ自分の声で夢からさめた。昭和十六年(一九四一年)十二月八日、日本の真珠湾先制攻撃によって太平洋戦争の幕は切って落とされた。これまで新聞やラジオには、軍に都合のよいことばかりが報道されていて、国民にはここに到るまでの真相を全く知らされていなかった。満州国の建設を妨害し、わが国に盾突く、悪虐非道の支那を打ち懲らしめる『暴戻支那膺懲』のスローガンは、一転して、日本になびかぬ支那の蒋介石政権を倒して、大陸に新政権を樹立させ東南アジアを含めて、東亜全域に新しい秩序を打ち立て、東洋の諸民族を西欧の植民地.支配から解放する『東亜新秩序の確立』というスローガンに変わり、国民はこの高邁な理想に酔っていた。だからその理想を遂行する戦争は即ち聖戦であると信じて疑わなかった。米英蘭などは、日本のこの理想実現が、彼らの権益を損なうため、ABCD包囲陣による経済封鎖網をもって、理不尽にも横車を押し、その達成を妨げている、という軍の宣伝をそのままに信じ込み、この横暴な経済封鎖の結果、日本人の生活が著しく不自由になったとして、生活物資の不足を専ら、ABCDの横暴とする、すり替え理論をそのまま鵜呑みにしていた。真珠湾の一撃は、鬱積するもろもろの怒りをそこに集約して一挙に晴らし、彼らに痛棒を喰らわしたとして、国民は歓声を上げ有頂天になっていた。しかし国民のほとんどは、事の重大さと、その後に来る、想像を絶した惨劇を予想することは出来なかった。

 
このあと、戦火に蹂躙される悲惨な国内、そして敗戦に至る過程を彼の目を通じて細かく描写し「国破れて山河あり、城春にして草木深し」の杜甫春望の詩を以て締めくくってある223ページの本がこの『おちこぼれ戦争史』です。お読みになりたい方は下記のメールアドレスにお申し出下さい。

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