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随筆

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 おちこぼれ戦争史
【第1編】
 

1、終戦の詔勅

昭和20年(1945年)8月15日その日の朝、空は薄曇りのどんよりとした蒸し暑い日であった。「日照りの朝曇りか」とつぶやいて、眠たい眼をこすりながら下宿の前の庭に出て、大あくびをしている彼を見付けたこの家の小母さんは、そばに寄ってきて
「てっちゃん今日のお昼、天皇陛下の玉音放送があるんだって」と彼に耳打ちした。今朝がた夜行列車で一睡もせずに長野から帰ってきたばかりの哲也は、寝不足でぼんやりした頭の中で、小母さんの話が本当なら、どうせ死ぬまで頑張れと言われるのが落ちだろう、くらいに思って大して気にもかけなかった。所が朝食のちゃぶ台を囲んだ席で、上の娘の幸子が妙なことを言い出した。それがなんでも幸子の勤め先の陸軍航空本部で聞いたうわさ話では、この放送で、天皇陛下が直々に戦争をやめると言われるのだと言うのである。いくらなんでも、ここまで来てそれはないだろうと半信半疑でいた所、やがて正午になって雑音の多いラジオから流れ出した放送は、かなり聞きにくかったが、やっぱり幸子が言った通り終戦の詔勅であった。ああ何ということだ、もう戦争は終わった、そして生きている、もう爆撃に怯えることはない。とっさに哲也は、よれよれで汗いくさくなっていた上着のポケットから小瓶を取り出してふたを開けると中からカプセルが3個、手のひらに転がり出て来た。中身の青酸カリはカプセルの中でベットリと潮解していた。「こいつを使わずに済んだか」と思わず苦笑して庭に放り投げると、カプセルは乾いた土の上をころころと転がって溝に落ちた。哲也は昭和19年1月で満20才を迎え、徴兵検査で丙種と査定された。併し丙種といえども第2国民兵という兵隊に変わりはなく、本土決戦が始まればどうせ死ぬものと覚悟を決めていた。軍は神州不滅を説き本土を決戦場として、1億玉砕を国民に呼びかけていた。タコ壺(敵の攻撃から身を守る1人用の塹壕)と竹槍で最後の1兵となっても戦い抜き、力尽きれば自決せよと叱咤激励していた。青酸カリのカプセルはいざというときの用意であり、人間1人が死ぬことの出来る十分な致死量が盛り込まれてあった。それがなんで唐突に戦をやめろとは、天皇の一声でこんなに簡単にやめられるのなら、なぜもっと早くやめなかったのだろう。若い命を敵艦に叩きつけて散っていった特攻隊の仲間、満州に中国大陸に、ガダルカナル、サイパン、レイテ、沖縄などなど無数の戦場や島々に、インド、ビルマ、の山中に死屍を曝した何百万の将兵、空襲で焦土と化した国土、爆弾や焼夷弾で失われた数え切れない人々の命、これまでにあがなわれた犠牲はあまりにも大きかったではないか。


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