宝物とは「貴重で大切なもの」と辞書にある。
小学校3年生の頃、竹で出来た物差しで竹トンボを作り宝物のように大事に引き出しの中に収納(しま)っていた。
当時の竹製物差しは竹の幹の皮の部分を表に最小が1ミリ全長30センチに目盛りを刻んであり、表面は丸みを帯びた艶やかな鼈甲色で裏は白っぽく肉厚で竹トンボの材料には打って付けの物であった。
友達が竹トンボを持って遊んでいるのが羨ましく、かといって竹を手に入れる方法も解らないままに、竹の物差しを見てこれ幸いとナイフで削って仕上げ、得意にになって遊んでいた。
ところがそれを見付けた父親は烈火の如く怒り
「この馬鹿もん、こんな大事な物を!」というなり鉄拳を食らわせた。
父親は子沢山の貧困な家庭の末っ子で、小学校だけはやっと入れてもらえたが中学校進学など到底覚束(おぼつか)なかたが、姉が親を説得してやっとの思いで中学校に入り家業を手伝いながら刻苦勉励して優秀な成績で特待生となった。更に、奨学金を得て一橋高商を卒業して社会のエリートコースを掴んだ立志伝中の人であった。
その彼にしてみれば凡そ鉛筆一本、ケシゴム一個買って貰えない貧しい家庭で竹の定規などは宝物に等しい大事な文具であったに相違ない。
そのような思いの宝物を竹トンボに変えてしまった馬鹿息子の行為に激怒したが、何不自由なく育った息子にして見れば定規はただ単なる竹の加工品であり少額でいつでも手に入りそれほど値打ちのある物とは思わず、ましてや鉄拳を喰らうほどの悪い行為とは思いもしなかった。父親は竹製の定規が目盛りを刻んだ度量衡であり元の竹より数十倍付加価値があるものを単に本来の素材である竹として扱った息子の経済観念の欠如に腹を立てると同時に、自分の貧しかった過去の境遇の中では貴重な宝物であった定規を、むざむざと遊びの道具に変えてしまった息子の行為を許せなかったに相違ない。然し息子にしてみれば素材の竹を手に入れる手段が解らず、手元にあった定規を加工して宝物としていたのである。父親にしても息子にしてもこの竹定規は何れにとっても宝物であったが、その判断基準は父親の方は貴重な文房具としての価値判断であり、息子の方は単に竹という素材としての価値判断で、物理的に竹が手に入りにくかったからに外ならなかった。
物事の価値判断の基準はその人の生い立ちと環境によって大きく異なり、親子と雖(いえど)も一致するとは限らない。
ましてや国家、民族間においてそれぞれ価値観が異なるのは当然と言えよう。キリスト教民族とイスラム教民族の十字軍時代からの反目と対立は今世紀になっても未だに続いている。人間としての生きる目的と価値観の違いは容易に埋まらないとしても、お互いにそれを認め合い、戦争という殺し合いによって相手を屈服させようとすることだけは止めで平和と安定こそ最大の宝物であると知るべきではないだろうか。
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