お肌と健康の相談室ぶんじ永楽堂薬局 送料無料(一部地域除く)
コンテンツ一覧
  • トップページ
  • 初めての方へ
  • ぶんじ永楽堂の考え方
  • お肌の相談室
  • お客様相談実例
  • 問診表
  • お肌のご相談はこちらへ
  • アクセーヌについて
  • ネットショッピング会員マイページ
  • お買い物はこちら
  • 不安定な肌
  • 刺激に敏感な肌
  • 大人のニキビ
  • ベース&サンケア
  • ファンデーション&パウダー
  • メイクアップカラー
  • スペシャルケア
  • ホワイトニング
  • ボディケア&ヘアケア
  • その他のお勧め商品
  • コラム
  • お客様の声
  • 特定商取引法の表記
  • 医薬品に関する注意事項
  • 店舗案内
  • リンク集
まずはお気軽にメール又はお電話下さい


ぶんじ永楽堂薬局LINE公式アカウント 友達募集中
お得意様携帯注文フォームのご案内 詳しくはココをクリック!


個人情報の取り扱いについて(プライバシーポリシー)
コラム
コラム一覧へ戻る
随筆

|第1編|第2編第3編第4編第5編第6編

 クエンサン そーだ
【第1編】
 

 『清水の次郎長』で有名な東海道の港町、清水市は、昭和19年の暮れから終戦の年、昭和20年の7月7日にかけて、前後10回に及ぶのB29の焼夷弾爆撃を受け、町の殆どは焦土と化してしまったが、更に同じ年の7月31日の真夜中、米潜水艦による艦砲射撃のつるべ撃ちを浴び、湾岸一帯の諸施設は無惨にも大破してしまった。しかし、米軍の戦略上の理由からか、ここ東海道石油株式会社の製油施設は、ほとんど無傷のまま残っていた。

戦後2年が経ち平和が戻っては来たものの、期待していた原油はまだ運び込まれる当てもなく、駿河湾に面した広大な石油工場はひっそりと静まりかえっていた。

 いつになったら原油の輸入が許可されるのか見当も付かないままに、ただ、のんべんだらりと油がくるのを待っている訳にも行かないということで会社は、東海道薬業有限会社を構内に設立して、内職仕事にサッカリンの製造を始めることにした。

甘みに飢えていた戦後の社会で、サツカリンは飛ぶように売れたが、当時それは禁制品であり、いくら儲かるからといっても所詮はヤミ仕事で、いつまでも非合法な事業を続けているわけにも行かず、そろそろ足を洗ってまともな仕事をと、もくろんだ結果が将来きわめて有望視されているワクチンの製造であった。

そこで昭和22年暮れ、会社は工場内の一角にあった研究所を整備し、並行して別の子会社、日本ワクチン研究株式会社を設立して許可を取り、此所でワクチンの試作を開始し軌道に乗った所で、東海道薬業を解散して日本ワクチンにすり替えることにしたのである。

 ワクチンといっても腸チフス、パラチフスの所謂「腸パラ混合ワクチン」は製造も簡単であるが余り儲けがなく、目標は百日咳、ジフテリア、破傷風の三種混合ワクチン、略して「百ワク」と呼ばれるワクチンの製造であった。

「百ワク」は子供に取っては恐ろしい病気である、百日咳、ジフテリアを未然に防ぐ救いの神であり、蔓延を防ぐため当時は強制的に接種されていたが、製造がむつかしく量産ができない代わりに、大変儲かる生物学製剤の一つでもあった。


|第1編|第2編第3編第4編第5編第6編

コラム一覧へ戻る
© 2008 EIRAKUDO. All rights reserved.
mail to : info@eirakudo.com